「旧校舎全景・2」
旧校舎を北の田んぼから撮影された風景です。六年生と五年生が使っていたのではないでしょうか?たしか東の端が音楽室だったと思います。 今となって思う事でしょうけど、確かにぼろぼろですね。(^^;板塀が痛んでいるのが、写真からも分かります。窓ガラスもすこしゆがんでいて、すこしかわいそうな気持ちがしてきます。 稲の育ち具合から、これが撮影されたのは8月だったのではないでしょうか?ほんとうに旧校舎の最後の夏の姿のようです。 |
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校舎南には、西に伸びる農道が走っていて、高柳、藤倉の子供たちは、そこを使って小学校に通っていました。 夏になると田に水が引かれるため、大雨の時は農道に川が走り、水の上を長靴で歩いて登校したものでした。 その農道から撮影された写真がこれです。ちょっと暗くて怖かった西便所も映っています。煉瓦作り(?)の焼却炉は解体時には大活躍したのではないでしょうか。 ここでも気づく事ですけど、旧校舎は補修され、補強され、ほんとうにぼろぼろになるまで使われて、解体されていったようです。でも僕は不思議と教室での雨漏りや、隙間風の記憶がありません。大雨で滝のように落ちてくる雨水や軒先に何本も垂れ下がるつららの事は覚えていますけど辛かった思い出は不思議と時間の中で楽しかった思い出に昇華されていくみたいですね。 |
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校舎西の棟をつなぐ渡り廊下付近の写真です。たしかこの廊下沿いに図工室があったと思います。 ご多分にもれず僕も理科室は苦手でしたけど、図工室は好きでした。石膏象の面白い形や、飾られた図画の色合い、どうやって使うのか分からない事が想像をかりたてた工作用具。音楽室に飾られていた肖像画(たぶんベートーベンとかそのへんの音楽家の絵です^^;)は、見るだけで気持ち悪かったけど、図工室は座っているだけでいろんな想像が膨らんでいたと思います。 見ると渡り廊下には窓はなかったのですね。掃除の時は、濡れ縁を掃いたり雑きんがけをしたりしていたのですね。それがこの校舎の日常だったのですね。 |