今月の御本尊 「石川優子」           1966mm

え〜と、住職の方からアイドルネタで何か書け、といわれたので、
さて、誰にしようか?と考える事数日・・・



まず、思い浮かんだのが我が最初のアイドル”原田知世” 次に浮かんだのが青春時代真っ只中にはまっていた、”斉藤由貴” そして、最近では”松たか子””竹内結子”と並んだ名前はアイドルと言うよりは”女優さん”でした。
で、もう一度思い返してみる、”原田知世”の前にいなかったのかな?と
そして・・・いらっしゃいましたね、すでにシンガーとしては引退なされましたが、
地元大阪出身の方が・・・

いわゆる”アイドル”ではありませんが、男子が世間一般にアイドルに目覚める中学生からあとの十代、
自分の中で他のアイドルや歌い手さん、女優さんとはあきらかに一線を画した人が・・・

”石川優子”

ヤマハ所属で、いわゆる自分でギターを持って、作詞も作曲もするという”シンガー・ソング・ライター” という、当時流行のスタイルの一つでした。

自分よりは年上で、”綺麗な優しいお姉さん”ケド、憧れや恋愛の対象にもなりうる、そんな存在が彼女でした。

るるさんとかぶったりなんかするのですが、中学生の当時、地元のラジオ局MBSで夜10時から”MBSヤングタウン”という思い切りベタなタイトルの番組がありました。
その中で毎週木曜日、笑福亭鶴光、角淳一(MBSアナウンサー)との3人で屈託のない明るい声を聞かせてくれてました。

やはり、ご多分に漏れず”ながら族”として毎週木曜日は特にラジオの前から離れなかったものでした。
当時、二十歳そこそこだった彼女は、それでも、鶴光、角、というオジサン相手に、時にはボケ、時にはツッコミ、 そして、時には生真面目な一面を見せながら、常に明るい声で元気づけてくれました。

今にして思えば、私の女性の好みなどのルーツは何処をどうひっくりかえしても”石川優子”に行き着くのです。
容姿、話し声に歌声、クリエイターとしての彼女の詞や曲、歌そのもの。話し方から受けるセンス、 そして、笑顔。なにもかもが”好き”ですね、今でも。

シンガーとして引退して、15年になるので知らない方もたくさんいらっしゃるでしょうし、
たくさんのヒット曲があった訳ではありません。(ベスト10に入った曲としては、”シンデレラ・サマー” とチャゲ&飛鳥のチャゲとのデュエット曲”ふたりの愛ランド”ぐらいでしょうか)
マイナーなことを承知で、彼女のことを書いたのは、やはり私にとっては特別なシンガーの一人だからでしょうか。。
そして、彼女のことを皆さんに知って欲しかったのでしょう。
今でも、彼女の歌はたまに車の中で聴いたりなんかしてます。

ということで、”綺麗で優しくて歌声の素敵なお姉さん”石川優子は今でも私の”憧れの女性”なのです。

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